フルマラソンを走る目的は、人それぞれだと思います。記録ばかりを狙っているランナーだけではないはずです。しかし、フルマラソンのように長い距離を走るようには、本来人間の体はできていません。それなりの鍛錬をして臨まないと、太刀打ちできないスポーツだとは言えるでしょう。
記録を狙って自分自身を向上させることも素晴らしいですし、健康目的で長く続けようとチャレンジすることも素晴らしい。新たなチャレンジとしてフルマラソンを走るのも素晴らしいです。
人それぞれの人生そのものがマラソンにも例えられるほど、長くて過酷な距離です。どのチャレンジも、その人の人生にとって大きな財産になることは間違いありません。
そんな過酷なスポーツだからこそ、ただ単になんとなく走るのか、大きな目的を持って走るのかによって、その成果や達成感にも違いがあるような気がします。
そして、その目的が何によってもたらされるかというと、人それぞれの人生哲学や価値観であると思うのです。
ですから、マラソンというスポーツは単に技術的な向上、記録の向上という単一的な指標だけでは測れないものがあると思うのです。
究極の選択:記録か、継続か?
さて、ここで皆さんに一つの究極の質問を投げかけたいと思います。
A:サブ3はもちろん、2時間45分でも2時間30分でも、あなたが生涯のうちに成し遂げたい記録を達成できるとします。ただし、そのマラソン人生は60歳で終了となります。60歳を超えたら、マラソン以外の方法で健康管理をしてください。
B:100歳まで走り続けることができます。ただし、記録はもうこれ以上望まないでください。現状の自己ベストはこの後の人生で更新することはできません。
極端な質問ですが、ここにランナーとしての哲学が顕著にあらわれるのではないかと思います。
僕は即答です。もちろんBを選びます。Aという選択肢は、Bという選択肢がある前では、一瞬たりとも魅力的には感じません。
走る以上は常に自己ベストを目指すということを念頭に置いてトレーニングはしていますが、僕が本当に欲しいものは記録ではありません。僕の目的は、100歳になっても元気で仕事をバリバリこなし、生涯現役で長生きすること。そのための手段でありツールがマラソンです。
だとすると、僕にとって一番大切なことは、どうしたら長く走り続けることができるかということです。
「継続」を阻む最大の敵は「怪我」
マラソンを始めた当初は、まだ明確に100歳でフルマラソン完走という目標は持っていませんでした。しかし、(第1回連載記事参照)娘とのエピソードにもあるように、大きなくくりで言えば「健康目的」であることは間違いありませんでした。
健康目的である以上、継続して日々行えるものでないと意味がありません。その時に、怪我で数週間も数ヶ月も休むようなことになったら本末転倒だという意識が強く働いていました。長く続けていくには怪我というものは絶対に避けていかなければいけないと、最初から思っていたのです。
そして、その後、コロナ禍で走ることの意味を自問自答した結果、100歳でフルマラソン完走という明確な目標ができたときには、ますます怪我による中断があってはいけないと思いました。なぜなら、ここでも自分自身の性質の話になりますが、元来僕は怠け者だからです。怪我によって走れなくなることを、躊躇なく言い訳にしてしまうでしょう。
マラソンに限らず、どんな分野でも一つの道を究めようと思ったら、「継続」こそ最大の武器になるはずです。走ることの楽しさや喜びを十分に知ってから、このマラソンにおける「継続」は自分には絶対に可能だという自信もありました。それを阻むものがあるとすれば、怪我以外には考えられませんでした。
弁護士の忠告とイチローの哲学
なぜ僕が、それほどまでに怪我を恐れるのか?その明確な理由が、走り始めた当初のある出来事にあります。
当時、仕事上でお付き合いのあった弁護士の先生に、こう言われたのです。
「仕事柄、多くの経営者や士業の方と付き合いがあるが、マラソンをはじめる人がまわりにすごく多い。けど、マラソンをはじめた人たちのなかで、怪我をしない人を見たことがない」と。
冷めた目で、歳も歳なんだから、ほどほどにしときなさいよ、という弁護士の先生なりの忠告だったのかもしれません。当時の僕は全くのマラソン初心者でド素人だったので、気をつけます!くらいの感じで言葉を返したと思いますが、内心では「絶対に怪我なくフルマラソンを走れるようになってやる、そして絶対にサブ4くらいは涼しい顔して達成してやる!」という気持ちになったのです。
別に先生の「怪我しない人はいない」という思い込みを正してやる!なんていうことではありません。むしろ、その忠告をその段階でくれた先生には、いまとなっては感謝しています。問題は、先生がそんなことを言ったからそれを覆したかったのではなく、その言葉をきっかけとして、自分自身で怪我なくマラソンを楽しめるほどの強靭な肉体改造をやってやろうではないか!というふうに、自分を奮い立たせることができたということです。
「無事是名馬(ぶじこれめいば)」という言葉がありますが、たとえばスポーツの世界だったら、イチロー選手。彼の何がすごいって、個人的には、バッティング技術や走力や肩の強さではなく、ほぼ怪我なく第一線で活躍し続けたことです。そして、その背景には、己の肉体を、怪我のない肉体に仕上げていたという努力があったのだと思うのです。
僕もマラソンを通じて、己を知り、長く怪我なく走り続けることが可能な強靭な肉体に改造をしようと思ったのです。
46歳の夏の決意でした。
怪我の原因は「追い込みすぎ」
弁護士の先生が言っていた怪我をする人々の共通点は一体なんだろう?ということも随分考えました。僕の出した結論は「追い込みすぎ」ということです。
若い頃からマラソンを始め、数十年かけて「筋肉の貯金」を作ってきたランナーは、50代、60代になっても高いパフォーマンスを維持できる人がいるでしょう。しかし、僕にはその貯金が全くありません。だとすれば、僕の本当の勝負は44年後(2025年現在)であり、これから44年間の地道な努力こそが、100歳時点での体力や筋肉の貯金となると思っています。
だからこそ、マラソンを始めた当初から、追い込んだスピード練習はしないと決めていました。これは、(第2回連載記事参照)津田氏の書籍から得た「練習でできないことが本番でできるのがマラソン」という座右の銘とも相まって、僕の究極目的においては、「追い込んだ練習は悪」にさえなる、という信念に繋がっているのです。
怪我なく走り続けることの正解を自分なりに知っている以上、それを続けるだけです。年齢とともにさらに筋力の低下なども起こってくるでしょう。その時にはその年齢での己を知って、対策を都度行なっていけば良いと思います。
今は楽しく走れているので、何も課題はありません。スピード練習的なものも一部取り入れているのは、走る以上は常に自己ベスト更新という、第二の目的も追っているからです。
連載開始日:2025年9月9日
現在の月間走行距離:2025年7月463km
年齢:56歳
目標:100歳でフルマラソン完走
最新のフルマラソン自己ベスト:3時間28分04秒(2025年3月びわ湖マラソン)
フルマラソン完走回数:38回(出場39回、途中棄権1回)
47都道府県フルマラソン大会制覇数:18/47
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