第2回:病気になる前に防ぐ! 医者も知らない「未病」のヒミツと心の養生術
はじめに:病気になってから治すのは「愚か」である?
連載第1回では、私たちの身体が「天地と父母からの授かりもの」であり、それを大切にすることが養生の根本であることを学びました。しかし、どれほど大切にしていても、私たちは風邪をひいたり、お腹が痛くなったり、体調を崩したりすることがあります。そんなとき、多くの人は「病院に行こう」「薬を飲もう」と考えますよね。
もちろん、それは大切なことです。しかし、貝原益軒はこう問いかけます。
「本当に賢い生き方とは、病気になってから慌てて治すことだろうか?」と。
彼の答えは明確でした。「病気になってから治すのは、もっとも愚かなことだ」と。
では、どうすれば病気になるのを防げるのでしょうか? その答えは、中国の古典医学に古くから伝わる「未病(みびょう)」という考え方に隠されています。今回の連載では、この「未病」という不思議な言葉のヒミツを解き明かし、それをどうすれば予防できるのか、そしてその鍵を握る「心の養生術」について、一緒に深く掘り下げていきましょう。
「未病」って何? 現代医学では捉えきれない、健康と病気のあいだ
みなさんは、「未病」という言葉を聞いたことがありますか?
未病とは、簡単に言えば「病気ではないけれど、健康とも言えない状態」のことを指します。たとえば、「なんとなく体がだるい」「疲労がなかなか取れない」「肩や首が凝ってつらい」「食欲がない」といった、はっきりとした病名がつかないけれど、不調を感じている状態です。
現代の西洋医学では、病気を診断するために血液検査やレントゲンなど、さまざまな科学的なデータを使います。検査の結果、基準値から外れていれば「病気」と診断されますが、基準値の範囲内であれば「問題なし」とされます。しかし、私たちは検査で「問題なし」とされても、体の不調を感じることがありますよね。この、データには表れない不調こそが、「未病」の状態なのです。
中国の古典医学では、病気は突然現れるのではなく、この「未病」の段階を経て、徐々に進行していくと考えられていました。いわば、健康と病気のあいだにある、「曇り空」のような状態です。
- 晴れ:健康な状態
- 曇り:未病の状態(体内のバランスが崩れ始めている)
- 雨:病気の状態(はっきりと症状が出ている)
賢い医者とは、この「雨」が降り始める前に、つまり「曇り空」の段階で、その原因を突き止めて対処できる人のことだ、と益軒は言います。
この考え方は、今から2000年以上も前に書かれた中国の医学書『黄帝内經(こうていだいけい)』にすでに記されています。『黄帝内經』には、「聖人(せいじん)は已病(いびょう)を治さず、未病を治す」という言葉があります。「已病」とはすでに発症した病気のことで、それを治すのではなく、「未病」を治すことが、本当に優れた医者の役割であると説いているのです。
この「未病」の考え方は、現代社会においても非常に重要です。私たちの抱える病気の多くは、生活習慣が原因で起こる「生活習慣病」です。糖尿病や高血圧、脂質異常症などがその代表例ですが、これらは日々の食生活や運動不足、ストレスなどが積み重なって、長い時間をかけて発症します。つまり、生活習慣病の多くは、「未病」の時期を経て発症するのです。
今日の学び
- 「未病」とは、病気ではないけれど健康とも言えない、体調がなんとなく優れない状態を指す。
- 病気は突然なるのではなく、この未病の段階を経て進行していくと考えられていた。
- 本当に賢い生き方とは、未病の段階で対処し、病気を防ぐことである。
なぜ「未病」を治すのが最も重要なのか?
貝原益軒は、『養生訓』の中で、病気になってから治療するのを「喉が乾いてから井戸を掘るようなものだ」と表現しています。
喉がカラカラになってから井戸を掘り始めても、水を飲めるまでには時間がかかります。それと同じで、病気がひどくなってから治療を始めても、完治するまでには大きな苦痛と多くの時間、そして費用がかかることを示唆しているのです。
この考え方は、江戸時代の医学が発達していなかった時代背景から生まれたものですが、実は現代の医療にも通じる大切なメッセージを含んでいます。
現代の医療では、多くの病気が薬や手術で治せるようになりました。しかし、薬には必ず「副作用」というリスクが伴います。また、手術は身体に大きな負担をかけます。病気を治すために、大切な身体を傷つけてしまうかもしれない。益軒は、このような治療を「下策(げさく)」、つまり最も愚かな方法だと表現しました。
もちろん、重い病気にかかった場合は、薬や手術の力を借りる必要があります。しかし、そうならないように日頃から努力することが、私たちにできる最善の策ではないでしょうか。
今日の学び
- 病気になってから治療するのは、喉が渇いてから井戸を掘るように愚かなことである。
- 薬や手術は、身体に負担をかける「下策」である。
- 病気にならないように、未病の段階で対処する「上策」を目指すべきである。
「心」を整えることが「未病」を治す鍵! 現代認知科学とも重なる知恵
では、どうすれば「未病」を治すことができるのでしょうか?
益軒は、その最も大切な鍵を「心」にあると考えました。
『養生訓』の膨大な項目を分析した最新の研究論文(※1)によると、全476項目の中で「心」に関する言及が最も多く、全体の約半分(48.1%)を占めていました。これは、益軒が「養生」の根本を、食事や運動といった身体的なものよりも、心の状態に置いていたことをはっきりと示しています。
彼の言う「心」とは、現代でいう「心臓」のことではありません。それは、私たちの感情や思考、価値観といった、精神的な活動すべてを司る「司令塔」のようなものです。
益軒は、「心は身の主なり」と言いました。つまり、「心は身体の主人である」ということです。心が穏やかで安定していれば、身体も健やかに保たれます。しかし、心が乱れると、身体にもさまざまな不調が現れ始めます。
- 怒り:怒りの感情は、私たちの「気」を上へ上へと押し上げ、頭に血が上ったような状態にします。それが続くと、頭痛や高血圧などの原因につながることがあります。
- 憂い(うれい):心配事や悩みは、心を塞ぎ、食欲不振や不眠の原因になります。
- 欲:食欲や性欲、睡眠欲といった「欲」が過剰になると、身体に大きな負担をかけ、病気の原因になります。
これらの「心」の乱れこそが、「未病」を引き起こす最大の原因だと益軒は考えました。
この考え方は、300年前の知恵ですが、実は現代の科学でも証明され始めています。近年の「認知科学(にんちかがく)」や「脳科学」の研究では、私たちの心と身体が密接に結びついていることがわかっています。ストレスやネガティブな感情が続くと、自律神経のバランスが崩れ、免疫力が低下したり、消化機能が落ちたりすることが明らかになっています。まさに、益軒が言っていたように、「心が身体の主人」であることが科学的にも裏付けられているのです。
今日の学び
- 養生の根本は、「心」を整えることにある。
- 怒り、憂い、欲といった心の乱れが「未病」を引き起こす最大の原因となる。
- 「心が身体の主人である」という考え方は、現代の科学でも証明されつつある。
未病を治すための「心の養生術」:今日からできる具体的なアクション
それでは、貝原益軒が説いた「心の養生術」を参考に、今日からできる具体的なアクションを実践してみましょう。
- 「多言を避ける」
- 何を? 自分の感情や考えを、必要以上に言葉にしないこと。
- いつ? 友だちと話すときや、SNSに何か書き込むとき。
- どのように? 益軒は、口数が多いと「気」が消耗し、元気を損なうと説きました。余計なことを話さず、静かに聞く姿勢を心がけましょう。また、SNSで誰かの悪口や不満を書きたくなっても、一晩寝かせてみましょう。次の日には、書く必要性を感じなくなるかもしれません。
- 頻度は? 毎日、自分の発言を少しだけ見直してみる。
- 「心に主(あるじ)を持つ」
- 何を? 自分の心に「主体性」を持たせること。
- いつ? 怒りや衝動的な感情が湧き上がってきたとき。
- どのように? 益軒は、心に主がないと、怒りや欲を抑えられなくなると言いました。「なぜ自分は今、こんなに怒っているんだろう?」「本当にこれが必要なのだろうか?」と、心の中にもう一人の自分を置き、客観的に自分を観察してみましょう。
- 頻度は? 感情の波を感じたときに、意識的に心の中で問いかける。
- 「小の欲をこらえる」
- 何を? 小さな欲を我慢する練習をすること。
- いつ? 甘いものが食べたくなったときや、あと少しだけゲームをしたいとき。
- どのように? 益軒は、欲に任せて行動すると、やがて大きな病気につながると説きました。まずは、「あと一口だけ」「あと10分だけ」といった小さな欲を、意識的に我慢してみましょう。
- 頻度は? 毎日、できる範囲で小さな欲を我慢する練習をする。
これらの「心の養生術」は、一見すると地味で退屈に思えるかもしれません。しかし、これこそが、病気にならない身体を作るための根本的な土台なのです。
まとめ:未病を治すのは、医者でも薬でもなく「あなた自身」
現代の私たちは、身体の不調を感じたとき、すぐに医者や薬に頼りがちです。しかし、貝原益軒は、真の健康とは、医者や薬に頼らずとも、自分自身で身体を治し、保つ力を持つことだと教えてくれています。
「医は仁術なり」という言葉は、本来「医者の最も重要な役割は、患者の苦痛を和らげること」という意味ですが、益軒はこれをさらに深掘りし、「医者は、病気になっていない人(未病)を病気にさせないように導くことが、最大の『仁』である」と説きました。
しかし、その「未病」を治すことができるのは、最終的には医者でも薬でもありません。それは、「あなた自身」なのです。
病気ではないけれど、なんだか調子が悪いなと感じたときこそ、自分の心と身体の声に耳を傾けるチャンスです。無理をしない、欲を抑える、心を穏やかに保つといった「心の養生術」を実践することで、病気という「雨」が降り始める前に、健康という「晴れ」の空を取り戻すことができるでしょう。
※参考論文:
- 謝 心範, 「A Study on Analysis of Yojokun ‐Influence from Chinese Classic Texts‐」, 武蔵野学院大学大学院, 2014年12月6日.
